2011 年3 月11 日に起きた東北地方沖を震源とする未曾有の大地震は、その後10 年を経た現在もなお続いていく複合被災をもたらしました。「東日本大震災」と名付けられたその総体は、津波被災地に対する地元民を無視した大規模公共事業による郷土の破壊や、東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン事故による広大な土地の放射能汚染および被曝、そしてそれらによるコミュニティの破壊といった人災的な側面も含んでいます。
2011 年3月11 日は、複合被災が「起きた日」ではなく、それが「始まった日」でした。
原子力緊急事態宣言は、10 年間を通して発令中なのです。
深刻なメルトダウンの状況から、大量に放出された、そしてなおも異常な規模で漏れ続
けている放射性物質による汚染が、10 年どころではなく、30 年、50 年と続かざるを得ないことは、事故の直後から分かっていたことでした。そして放射性物質は目には見えず、低線量被曝の影響も論争的で、原発事故の責任者である日本政府および東京電力は被曝回避措置を最小限にしかとらないだろうことも予想されたことでした。
それゆえに、放射能汚染地域から人びとが自主的に(つまり自己負担で)避難・疎開・移住するという動きとそれを受け入れ支援する全国の市民の動きが自発的に始まったのであり、また、避難・疎開・移住ができない家庭の子どもたちのために全国で「保養」を定期的に企画する団体と、また被災地のなかで保養を広める地元の団体も、数多く立ち上がったのでした。
そうした被災地内外の全国の団体が、相互に知恵と工夫を共有し、励まし
合い、息長く活動を維持・発展するためのネットワーク「311 受入全国協議会」(略称:うけいれ全国)を結成したのは、原発震災が始まった2011 年の翌年2012 年のことでした
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幸い「うけいれ全国」は、さまざまな寄付金や助成金を寄せていただき、福島県を中心とする被災地での相談会を開催したり、加盟団体の保養活動に対して助成金を配分したりすることができました。関心を寄せ続けてくださった全国のみなさまに深く感謝いたします。
上記のように通常の自然災害とは異なり、10 年を経た現在も放射能汚染と新たな放射能漏れという巨大な障壁が根本的な「復興」の実現を遠ざけ続ける中、終わりが見えない支援活動が求められています。これは前代未聞の長期的災害支援です。
しかしながら、私たちも含め人びとの気力・体力・財力には限界もあり、政府・東電が責任を取らないなかで、風化・関心低下という「時の試練」にも耐えなければなりませんでした。頭では10 年どころではない取り組みにならざるを得ないことは分かっていても、実際に活動を継続させることは生易しいことではありませんでした。
こうして原発震災の始まりから10 年間を迎えてみて、まずは原発事故被災地に暮らしながらとくに子どもたちの被曝回避に苦心されてきた方がた、そして全国で避難や保養の受け入れ活動をされてきた方がた、さらには関心を途切れさせることなく寄付などの支援を継続されてきた方がた、すべてのみなさんの労をねぎらいたいと思います。お疲れさまでした。
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そうした原発震災の始まりから10 年目は新型コロナウィルスの流行下で、対面交流をこそ旨とする現地相談会および全国の保養企画とが著しく制約された状況にあります。いつかはコロナ禍は終息すると信じ、そして被災地と保養先とで再会できることを信じ、約一年を耐え忍んできました。
オンラインでの会議や交流によって関係性を維持しつつ、もうしばらく我慢をしなければならないのは、とりわけ保養を必要とする人びとにはさらなる試練の時であろうと推察します。
また、2011 年の原発事故発生時にはしきりに「安全キャンペーン」が打たれて、放射能汚染や被曝被害があたかも20km 圏内にしかないかのように過小評価しようとしていたのに対して、新型コロナウィルスの感染者が東京・大阪、そして札幌・名古屋・福岡といった大都市圏を中心として広まっていたこともあり、マスクや消毒が全国で徹底されていることを見ると、その対応の落差に複雑な思いを禁じ得ません。東北地方と首都圏の格差と、そして国策としての原子力行政を前にして、やはり被曝回避の活動は自発的なネットワークに頼らざるを得ないのだろうかとあらためて思わせられました。
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コロナ禍のもとで迎えた10 年目の〈3.11〉に、みなさんと苦境を分かち合いつつ、遠からず相談会や保養の場で再会できることを強く願ってやみません。
2021年3月11日 311受入全国協議会